豆田地区への提言!!

2011/05/31

インターネットで検索していると豆田地区への提言ブログがあったので紹介します。久繁哲之助の地域力向上塾『地域再生の罠』著者ブログに載っている。『車優先で衰退する観光地・商店街を再生するため日田市長に意見書を提出した』日田市に「レトロな建造物・雰囲気」を売りに造られた観光地「豆田」地域があります。豆田には「下町通り(別名:みゆき通り)」と「上町通り」という2つの商店街が30m程の近さで南北に並行しています。先月、豆田の2つの商店街を散策して私が感じたことを紹介します。① 土建屋の金と思惑が投下されて「造られた観光地」という印象。② 歩道を確保しない「車優先」空間の為、歩くのは非常に危険で不愉快。③ ①②の結果、土建工事に大金を投じた観光地・商店街に、客が来ない。
豆田が「レトロな建造物・雰囲気」を売りに「観光地(商店街)造り」をすすめた歴史と、そこに投下された土建工事を振り返ろう。2004年 重要伝統的建造物郡保存地区(以下「伝統建物地区」と略す)に選定。2009年 上町通りの無電柱化(みゆき通りは2000年に無電柱化)事業が完了。「テンプレート(モデル事業)と、ベストプラクティス(成功事例)」を探してきて、自地域に、そのまま流用・猿真似する弊害を以下エントリで紹介したが、豆田も然りでした。 豆田を歩くと、大金を投じて造られた「器・箱物(建造物・道路)」は確かに立派に見える。しかし、「人の心・営み」が情けなくなるほど蔑ろにされていると痛切に感じる。豆田で商売を営む人や歩く人の「心・営み」がどれほど蔑ろにされているか。市民を気の毒に感じた私自身も、レトロ気分を体験しようと期待を込めて歩く途中、何度も車から「塀ぎりぎりを歩け」と言わんばかりのクラクションを鳴らされ、実に不愉快でした。不愉快の対象は、運転手ではなく、車優先空間を造り・放置する行政です。歩道は確保されていないし、車道と区別する線引さえしていない。この結果、2つの商店街は車が猛スピードで走り抜けできる「車の抜け道」として利用される「車優先の空間」となり果て、歩行者は危険で不快な思いをしています。
危険で不快な商店街を歩く私に、また胸が痛くなる出来事が何度も生じます。複数の商店主達が私に「車に気をつけて。休んでいきますか」等ときさくに挨拶・声をかけてくれるのです。行政がテンプレートを流用しただけで仕事した気になり、車優先を放置する結果、歩行者は不愉快で客が減ってしまい、商店主こそ一番の被害者です。しかし、豆田の商店主達は「観光客が来なくなっていく悪い環境下であっても、シャッターを閉めず真面目に営業していて、客や歩行者に気遣い」ができる。豆田を歩く人・商売を営む人の現状を私は、なんとか改善したい。そこで、現状と以下提案をブログに綴った後、同内容の意見書を日田市長宛へ提出します。
電線地中化やレトロ建築など土建工事で造られた空間が、車優先に使われて、歩行者は不快で寄りつかず、商店街は閑散とする現状は上記で説明した通りです。”器・箱物だけ立派で危険かつ不愉快な観光地には、もう二度と来ないぞ”と感じた観光者の「マイナス(不快)なクチコミ」は、プラスのクチコミより早く強烈に伝播します。観光客も地元客も疎らな豆田は、現状を認識して解決に着手しないとマイナスなクチコミが伝播して、更に閑散化(衰退)することを懸念します。そこで私は以下を提案します。
下町通り(別名:みゆき通り)と上町通りは、南北を30mの近さで並行して通る。この立地と交通量から「相互の一方通行」にしても全く支障は無い。むしろ歩道幅を確保して観光客を誘致する戦術として「一方通行にする、あるいは時間をきめて車両進入禁止」にするトランジットモール化は「まちづくり先進国(注)」の常識です。「レトロを売り」にする観光地・商店街なのだから、日中だけは車両進入禁止にした。「レトロな雰囲気を醸成する戦略」は検討されて然るべきでしょう。車優先で閑散とした両商店街を、まずは「車両一方通行」の「人優先空間」に変えて、人がゆったりと歩けて交流できる観光地・商店街に再生しましょう。
まちづくり先進国とは「市民の心、ライフスタイルが先に尊重」されて、それに合う「器・制度が後から」創られる西欧諸国を言う。一方、「先に西欧などで成功した器・制度を技術的・表面的に見た土建学者」が、そのまま流用・猿真似して「市民が後から合わせることを強要される」日本は「まちづくり後進国」です。日本は「まちづくり後進国」である事実が垣間見えます。すなわち、伝統建物地区などテンプレートに選定(認定)されると補助金がバンバン付いて、電線地中化やレトロ建築など土建工事が推進されて表面的には立派な箱物が造られるが市民の心・ライフスタイルは蔑ろされていて、市民は全く豊かになれていない。
今年2月28日に提出した「大分県日田市長へ意見書」の回答を頂きました。2月28日に提出した「大分県日田市長へ意見書」の回答を本日、頂きました。「大分県日田市長へ意見書」の内容は以下エントリを御覧ください。車優先で衰退する観光地・商店街を再生する為「大分県日田市長へ意見書」提出 私は意見書の結文に「返答内容と返答に要した期間等は、私の次著作等で公開して日田市民が豊かになることを日田市長様と共に目指す所存です。」と記しました。佐藤陽一市長、予告通り頂いた「大分県日田市長へ意見書」の回答を公開します。
久繁 哲之介 様
日田市長宛て意見書の回答
拝啓、今回は当市へのご意見につきまして、ご回答させていだだきます。貴殿の意見は十分理解できますが、豆田は20数年前までは、寂れた商店街でございました。そこで、現観光協会長が古い建物を利用した店舗を開店してから、徐々に歴史的町並みが見直され、行政も電線地中化で歴史的町並みを活かすことへ協力したしました。そして、今も豆田の町は商店街であり、生活場所であり続けています。加えて、上町通り(一部県道)は南北に抜ける幹線道路でもあり、公共交通バスも走行している。朝、夕には交通量が非常に多い生活道路でございます。最期に、市としましては、車の排除はひとつの将来像として取り組まなければならないと考えておりますので、今後、観光と生活との両立を、地域住民や市民とどうあるべきか、協議、検討をすすめて参りたいと存じます。
佐藤陽一市長の回答と、私の意見とを、比べ読んで注目すべきは先ず両者は「視点も思考・志向も正反対といえるほど異なる」ことです。そして、首長など街づくりに絶大な権力を持つ者の殆どは日田市の佐藤陽一市長と同じような「視点、思考・志向」であることです。両者の視点や思考・志向が、いかに違うかを「次の視点」から考察しましょう。
市民の生活場所を「車の交通量が非常に多い道路」に変えてしまった現状認識と責任。佐藤陽一市長をはじめ街づくりに絶大な権力を持つ者の殆どは、この現状を肯定し御自分には責任が無いと考えます。つまり、市民の生活場所を通る道は「人より車が優先されて当然」という思考です。この思考は厄介なことに、やたら「道路や箱物を造りたがる」土建志向が強い。土建志向では、街や商店街の「寂れているか、活性化しているか」の基準は「道路や箱物の見栄え」にあり、「市民の豊かさ、安心・安全」は疎かにされる。『地域再生の罠』は、岐阜市(第4章)や松江市(第2章)を例に、この思考・志向では「地方も市民も豊かになれない」現実を説きあかし、「車や道路・箱物より”人の豊かさ”が優先される」地域づくりを主張します。
日田市豆田の場合は、上町通りと下町通りという近接する2車線道路が並走しているので「一方通行で車優先空間を確保しつつ、空いたスペースを人優先に変える余裕」が十分にある。この施策は大阪など大都市でも導入が進んでいます。そして、市民の生活場所を安全・安心して歩けることを願う日田市民の皆さん(特に、私と共に車からクラクションを鳴らされて塀ぎりぎりまで逃げた御婆ちゃん)の御姿や御声に触れて、佐藤陽一日田市長へ意見書を提出するに至りました。今回の市長回答を踏まえて、私は「地方と市民が豊かになる」地域づくり・地域活性化をより強力に推進していきます。