後期高齢者仲間入りして・・・

昨年8月の誕生日を境に後期高齢者仲間入りした。75歳になり、あれから9ケ月が過ぎた。体の変化が激しい。体力がなくなっている。これからも健康に気を付けて生活して生きます。

ひ孫の3歳誕生日・・・

私の娘の長男の子供(長女)。私から見ればひ孫の3歳誕生日が15日でした。ケーキを買って来て夜に祝いをした。一緒に住んでいないが、土曜日、日曜日などに殆ど来ている。共稼ぎであるので、子供の体調が悪い時はいつも預けらている。4歳と2歳であるためにすぐに熱が出たり、小児科病院に行くことも多い。

後期高齢者仲間入り

今日は私の75歳誕生日です。歳が行くと余り嬉しくない。5年前に前期高齢者になって早くてもう、後期高齢者になった。早いものです。3年前の検診で肺に影があると言われ、検査、検査が続き、久留米大学病手術し、その後、抗がん剤投入、放射線診療など行って来ました。その結果、今のところ『癌』は消えたようです。

 

しかし、またいつか出るかもしれないので定期的な診察検査をしています。一時、1ケ月間、食事も取れず体重が13キロ痩せて68キロまで痩せてしまいました。今現在、食事も取れて美味しく食べていますので元の体重になりつつあります。超え過ぎに注意しながら生活しています。年齢が行くと体にも変化。足腰が痛くなったり、少しの作業でも疲れるし、年には勝てません。

 

夜は、夫婦二人で誕生日祝いと言うことで〘パティオ ふじ〙で豪華な洋食を食べる予定。

ジャガイモ・玉ねぎ豊作

今年は玉ねぎも大きな玉ねぎが出来た。超早生300本、早生300本を植えていた。普通の玉ねぎより約1ケ月早く収穫できる。今年は朝昼夜と毎日食事時に玉ねぎをスライスしてドレシングを掛けて食べています。

 

さらに、今年はジャガイモも多めに植えていた。葉っぱが少し色が付き始めたので、掘って見たら大きなジャガイモが土の中から出てきた。男爵とメークリーンの2種類植えていた。例年になく、大きなジャガイモが収穫された。私の家だけでは処理できないので、親戚、近所、友達、知人に少しずつ配っています。写真は収穫の一部です。

 

風呂だけのソーラー老朽化

約40年前ぐらいに設置した風呂だけのソーラーが古くなった。以前は冬場も水を上げていたら、少しはお湯が出ていたが、ここ最近は冬場〔11月下旬~3月上旬〕は水を上げないようにしている。以前、タンクに上げていた水が凍って業者に修理したことがあった。それからは夏場だけの温水器になっていた。夏場になったら、熱くなり水をいれる。

 

このたび、朝日ソーラー㈱の営業マンが来訪し、何度が話し合いをする。納得いくソーラー設置になったので取り替えることにしました。現在、自宅裏側を急傾斜工事をしているので、大方、工事が終了した段階でソーラー取り換えをすることにしました。

10年間借用していた畑を地主に返す

自宅から近い諸留町本村集落の近くの畑〔7畝〕を借用して10年になりました。春先から〘綿の木〙、秋から〘高菜〙栽培を続けていました。年齢が経つに連れ、体が付いていかなくなって来ました。

 

一時は、夫婦二人で二人農業として頑張っていましたが、歳には勝てません。地主に9月に畑を戻す旨を通告しました。綿の木も全部取って、トラクターで2回耕し周囲も草刈りをして立派になりました。

 

健康づくりのために借用したこともありました。綿の木栽培は今年で完全に終了します。〘高菜〙栽培はもう少し栽培することになり、自宅前の田んぼに植えることにしました。その準備をしています。苗も大きくなり、11月中旬には植えこむことになります。

 

 

 

 

 

 

母一周忌法要開催した

父母写真ホームページ

新型コロナウイルスが全国的に広まる中、皆が一堂に集まることに悩んだ末に母の法要を開催した。命日は3月12日ですが、今日、自宅で開いた。母の兄弟の子ども達と近い親戚が集まり、願正寺住職によってお経があげられた。約一時間で終わり、本来であれば宝屋で食事会を計画していたが、時期が時期であるので折り弁当にさせて貰った。

72歳誕生日を迎えて・・・

ひ孫から誕生祝い②翔太からケーキ2019,8,5ます。ます。①私2019.8

 

昭和22年8月5日に生を受けて、今日で72歳になりました。大きい病気もせず、今日まで生き延びています。これから先、どこまで生きれるのかわからないが、無理をせず、健康でありたいと思っています。友人、知人からお祝いの電話やメールも届き、有難くお礼を述べています。写真は孫からケーキ、一輪の花を頂く。ひ孫と。

母の49日法要・納骨も終わり・・・

集合写真31.3.15父母写真31.4.29

母が1月30日に緊急手術をして、一時は元気になりつつも、2月下旬から容体が段々悪くなり、3月12日に死去した。多くの方に見送られて父の所に旅経った。元気の良かった母が急にいなくなり、何か心の中に穴が空いてしまった。葬式、初七日と済ませ、28日に49日法要を行い、母の遺骨は父が眠っているお墓に納骨した。その後、親戚、孫、ひ孫達42名が集まり、『母の想い出を語る食事会』を開催した。

 

母が居住していた部屋もそのままにしていたため、今日から片付けしている。兄弟で片付け、いるものといらない物に分けて、後は処分する予定です。母が使っていた補聴器は私が貰うことにしている。私も少し耳が遠くなっているため。今後、初盆、一周忌、三回忌が待っている。元気の良い母でしたが、91歳になっての手術は厳しいリスクが待っていた。先祖仏壇にお参りしていきます。

母死去

母31.120父と母30.1.26

母が死去しました。生前は皆さんに大変お世話になりました。母に変わりまして厚くお礼を申し上げます。12日午後11時25分に天国に旅経ちました。その当時、外は強い風が吹き、一時でしたが大雨が降っていました。病院で綺麗に体を拭いてもらい、自宅に連れて帰りました。

元気の良い母でしたが、歳には勝てず、じわじわと弱って旅経ちました。91歳と11ヶ月でした。天国で4年前に亡くなった父と仲良く長い旅に出発したようです。