日頃の危機管理体制の重要性!!

久しぶりの大雨で緊張感が走った。天候が不安定と言うことはテレビ報道で言っていたが、今日の午前中の雨は土砂降りの雨でした。30分足らずで小雨になったので一安心でした。昨年7月の豪雨の時を想い出していました。あの時は大雨が長い時間続いた結果で、見る見るうちに道が川になり、水路が一気に増加し有田川が氾濫してしまいました。今日も心配し、軽トラックで諸留町一帯を巡回しましたが被害は何もないようでしたので一安心。

いつ起きるかも知れない災害に備えて危機管理体制は万全でなければならないと思う。先日15日に開いた諸留町班長会議の中で各集落での危機管理について話し合いもした。火災・水害などの協力体制、防災士を中心とした危機管理体制を日頃から訓練し住民に対し危機意識をもつよう伝達する。

我が平島地区でも24日に防災訓練をすることにしている。午前8時に火災が発生したという想定でそれぞれの役割分担で行動する。ウッドの調整池のバルブを開ける班、水路を止める班、初期消火班、避難班などに分かれて行動することになっている。実際に東有田分団の消防車も協力頂けることになっている。緊張感を持って日頃のこうした訓練が必要と思える。災害がないことを願うが、ここ最近の天候を見ると異常気象で何が起こるか分からない日がある。水害、地震、火災などが起こらない事を願う。

日田市内中心部が展望出来る!!

4時間の伐採作業で市内中心部が展望できることになった。今日午前9時に月出山岳の登山口である月出町本月出集落の公民館前に実行委員や地元月出町から30名の皆さんが集まった。チェンソーなどを軽トラックに積み込み、2班に分かれて作業に取り掛かった。2番坊主記念碑付近の伐採と一番坊主付近の伐採を行なった。主にクヌギなどの雑木林であり、クヌギ約300本を切り倒し、長さ1メートルぐらいに切っていく。枝なども小さくし一箇所に整理する。

場所が急斜面で作業も難航。しかしながら、シイタケ生産者も居て、専門的に毎年クヌギを切っている方もいたので少しは楽になった。クヌギを切り倒した時、倒れる場所によっては危険を伴うので緊張感のある作業が続く。休憩時間を設けながら予定しているクヌギを切り倒していく中、今までは眺めが余りよくなかった風景も市内中心部が一望できることになった。

午後からは雲行きが怪しくなり、少し雨も落ち始めた。作業も急ピッチで進め、予定していた範囲の樹木を殆ど切り倒してしまった。一番坊に行く林道200メートルも市から生コンを支給してもらい、作業は業者に委託している。その作業も進んでいる。一番坊主山頂まで残り100メートルが未舗装になる。予定では今年夏までに一番坊主山頂付近に展望台を設置する予定にして入る。さらに、一番、二番坊主山頂付近に記念碑も建てることにしている。市民の皆さん、天気の良い日に家族連れで月出山岳に登山してみては如何ですか?・・・市内中心部が一望でき、釈迦岳連峰や玖珠の風車などがすぐそこで見れます。澄み切った日には遠くに九重連山、阿蘇山、筑後平野も見れるという。

朝から多忙な一日でした・・・

昨日夜遅くまでかかって書類の作成をする。今日は朝9時前に県西部振興局集落水田班の担当者と打ち合わせ。その後、市役所農業振興課に出向き28日開催予定の諸留・上諸留地区営農組合設立総会日田市長宛案内状を桑野課長に手渡す。その後、11社報道機関宛の案内状を記者クラブに持って行く。その後、地元東有田地区に帰り営農組合設立総会案内文書を8集落支部長に配布。ここまでの作業が昼間でかかった。

午後からは3月15日付けの広報ひた関係が配布されて来ましたので、それの仕分け作業。広報ひた・社協だより・家庭ごみ収集日程表・循環バス時刻表・商工だよりなどを9班に仕分け作業に1時間以上かかる。その後、その配布物を諸留町各班長宅に配布。その後、バドミントン関係者が済生会病院に入院しているので見舞いに出掛ける。

夜は午後7時半から諸留町班長会議を東有田公民館で開く。毎月1回の会議で今夜で12回目を向かえた。市からの伝達事項、4月3日開催予定の諸留町総代会提出の議案審議。さらに、先日から市から防災用具購入費として頂いた207000円で購入したサイレン付ハンドマイク5台とヘルメット25個を各集落ごとに配布。各公民館に常時設置して有効に使用するように伝達。また、ウッドコンビナート内の企業に対し自治会加入お願い行動に来週各企業を廻ることも報告する。

東有田公民館主催の成人セミナーに参加して・・・

東有田公民館の「成人セミナー」で飯塚市を訪れた。事前に公民館だよりで募集して20名の参加者ともに参加する。この「成人セミナー」は今年「楽しく続ける健康体操教室」や「わがまち歴史文化探訪ツワー」を開催し、参加者が定数を大幅に超えている人気セミナーである。今回も「炭鉱と生きたまち 飯塚・田川」ツワーということであり参加者も多かった。応募多数の場合は抽選になると聞いていた。定数ぎりぎりで参加者が決まったという。成人セミナー参加は初めてです。

朝寒い中、東有田公民館に集合し、参加者とともに日田バス貸切バスで一路飯塚市に向かった。松尾館長、塚田公民館主事から挨拶と今回のセミナーの目的、視察先の事前概略説明などもあった。まず、最初に訪れた場所は、筑豊の炭鉱王として知られる伊藤伝右衛門の本邸として建造された建物に訪れた。池を配した広大な回遊式庭園を持つ近代和風住宅は和洋折喪の調和のとれた美しさが魅力である。また、柳原白蓮が伝右衛門の妻として10年間過したゆかりの地でもある。

続いて、昼食を兼ねて「嘉穂劇場」を訪れた。支配人から嘉穂劇場の詳しい説明もあり、水害被害で再建できたことなども聞く。その当時、新聞等で大きく報道されていたことを想い出す。近くを通ったことはあったが内部を見たこと初めてでした。炭鉱の栄えた時代に建てられた立派な町家建築や炭鉱主の住宅が今も多く残されている筑豊地方の代表的な超モダンな建造物である。

最後に、田川市に移動し「石炭・歴史博物館」を見学する。博物館が出来て今年で30周年を迎えるということで色々なイベントが開催されているという。ユネスコ世界記憶遺産の「山本作兵衛のコレクション」・石炭採掘のなりたち・炭鉱で働く人々の様子、博物館の屋外に展示されている大煙突・石炭の輸送に活躍したSL・運搬車などもそのままの状態で展示されている。日田市も中央公民館を博物館に模様替えする構想もあるが、その地域の特色を出す博物館でなければ見学者はいないであろうと感じる。この田川市博物館は施設管理も行き届き、今でも毎日多くの見学者が来ているという。

自治会組織に加入を・・・

市内に点在している企業は、それぞれの地域の町内の自治会に加入している企業が多いと聞いている。私の住んでいる諸留町はウッドコンビナートを抱えている町内である。私が自治会長になって分かったことですが、ウッドコンビナートに立地している企業は全く自治会組織に加入したことがないと判明する。地元住民から「地元、自治会だけは加入するべき」との声が広がっていた。いままでこうした自治会加入促進について、全く自治会組織の中で動きもしていないようだ。

そこで、昨年私が自治会長に就任した頃に、ウッドコンビナート内の企業代表の方に自治会加入について話を持ちかけた。「内部で協議させてもらう」と言うことでした。1年経ったが何も返事もない。自治会班長会で協議した結果、それぞれの企業に対し、加入依頼文書を持って廻ることにした。役員数名で数日後に訪問することになった。自治会組織は任意組織であり、加入に強制力もない。しかしながら、立地した地元住民とも連携・協調しながら企業運営することも大切であろう。

東有田中学校卒業式に参列して・・・

全生徒数49名の東有田中学校卒業式に参列する。東有田中学校は市内の中学校で小規模校にランクされている。男子5名、女子11名、計16名が9年間の義務教育課程を卒業する。来賓として教育委員会から佐藤功教育次長、中野市議、有田小校長、県日田支援学校長、9自治会長など20名近くが卒業式を立ち会った。玄関前には国旗日の丸、東有田中学校旗、市旗がなびいていた。卒業式が始まって最初に国歌斉唱があり、先生達の一部が君が代を歌わなかった数十年前を想い出している。(議員時代に何回ともなく議会で国歌、国旗掲揚などの質問をして変わったことを想い出す)今日は見た限り殆どの先生が歌っていた。

卒業生はあふれる涙をぬぐいながら思い出の歌を歌い、新たな道のスタートラインに立った。多くは12日にある公立高校の入学試験に臨む。石田校長が一人一人に卒業証書を手渡し、「明日から新しい出発です。それぞれの個性を活かして明るい人生を歩んで下さい。母校での仲間との思い出が皆さんの心に刻まれている。うれしい時、苦しい時に思い出し、前を見て一歩踏み出す勇気を奮い起こしてほしい」と式辞。3年生は希望や夢を抱きながら、思い出が詰まった学びやと恩師の元を巣立った。

年度末を控えて・・

年度末を控えて色々な動きがある。人事異動で去る方、新しく赴任する方などもいる。3月1日付けで西日本新聞社本社に転勤した川崎記者、朝日新聞社の境記者も4月1日付けで日田を去る情報が。両記者とも議員時代から付き合いもあり、懇意にさせてもらっていた。行政・議会だけでなく、一般市民との付き合いが深く浸透していることで色々な情報も取れていたようだ。特に2年前にあった市長選の公約政策の焦点にもなる報道もあり、加熱させた火付け論戦もあったことを想い出している。新聞記者がその地域の中で、どれだけ一般市民の中に溶け込んで取材することも大切と改めて感じる。

市役所職員も定年退職、早期退職者を含めると30名を越す方々が市役所を去ると聞いている。長い間、行政に係わった方々であるので、今度は地域における貢献をしてほしいと願っている。ややもすると、地域のことに全く顔も出さないと言う非難も聞く。積極的に地域のイベントや催し物に顔を出してほしい。

年度末になると各種団体の総会などもあり、新体制の中で新年度を迎える。現在、私が絡んでいる自治会関係も同じことである。4月初めに通常総代会を開催するために班長会議で本年度の反省、決算、新年度における自主防災組織のあり方などを討議している。また、諸留・上諸留地区における営農組織の設立総会に向けて最後の調整を発起人会で詰めている。3月28日に設立総会を開く予定で90世帯の加入を見込み、役員構成、受託事業、予算などの詳細について話し合いが最後の段階を迎えている。ようやくここまで取り付けたと自分ながら感心している。農業を取り巻く環境は一段と厳しい。TPPの問題、後継者問題などの課題を抱えている当地域の受け皿づくりが出来つつある。

28年ぶりに共有林視察に・・・

記憶では平成になって一度も行ったことがなかった平島地区の共有林の視察に関係者と出向く。場所は上諸留町片峰地区に行く途中の「食事処 傳」付近から右山に入った場所と月出町に向かう大石峠付近の共有林です。平成3年の台風被害で大きな杉も倒壊し、無残な姿になっている。今回の最大の目的は、この共有林が昔は平島共有林でしたが、昭和30年代に国の森林政策変更で名目だけ個人資産変更された経緯がある。しかしながら、今だ平島共有林としての認識がある。そこで、この共有林を個人から本来の共有林に戻し「平島地縁団体への資産に変える」目的で今回の視察になった。

面積も広く、杉を中心に植栽されている。植栽されて50年近くになるため杉も大きくなっている。山の頂上付近には「クヌギ」もあるということでしたのでその現地も視察。大きくなっているのなら売ることも出来る。しかしながら、シイタケ生産者に言わせると今の時期、買う方はいないと言う。クヌギもまだまだ売れる時期にはなっていなかった。近日中に山の境をはっきりさせることも必要と判断。久しぶりに山の中に入った。

災害支援金207,000円の使い道・・・

昨年7月の豪雨災害支援金について、各自治会に防災用品の購入費として一律に207000円が配分された。使途について班長会で協議したところ、とりあえず「サイレン付ハンドマイク5個」と「ヘルメット25個」を購入することになった。諸留町5集落公民館に「サイレン付ハンドマイク1個」と「ヘルメット5個」を常時備え付けて、非常時に活用することになった。

会計担当者と市内の地元電器店に出向き、1個2万円近いサイレン付ハンドマイク5個を予約し、懐中電気付のヘルメット25個(5集落Х5個)も別の店舗で予約をする。3月中旬には各公民館に備え付けられることになった。諸留町は先の豪雨で有田川が氾濫し、有田川沿いで床上まで水が上がった世帯が30軒近くあり、相当の被害を受けた町内でした。さらに裏山が崩壊し、家屋に濁流が流れ込む被害を受けた地区もあり、現在、県土木事務所が急傾斜崩壊防止事業に取り掛かる測量も終わり、近日中に工事に着手することになっている。

諸留町は町内が広範囲に集落が点在し、150世帯ぐらいですが色々な諸問題を抱えている。ほとんど被害を受けていない集落や豪雨で相当な被害を受けた集落もあり、その取り組みがまちまちである。しかしながら自治会として取り組む事業は一致団結して色々な課題に取り組んでいる現状であります。

忙しい毎日を・・・

自治会の仕事で県土木事務所、市役所と出向く。市役所は地域振興課、農業振興課などに行って書類提出、町内の懸案事項について詳しく聞く。頂いた書類を今度は班長や関係住民に配布し、その内容について説明をする。県土木事務所には午前中と午後にも尋ねて詳細な説明を受ける。住民の声を伝えたり、疑問に思っていることなどを話し解決策を探っている。

さらに、東有田振興センターには一日に数回訪れて職員と話すことも多い。地域東有田地区の課題について話したり、今後のスケジュールを確認したり忙しい毎日を過しています。災害復旧の関係、営農組織設立に向けての関係、町内の課題解決など次から次へと仕事があります。こうした仕事について苦にならずに動けることが楽しい。これからも頑張って行きたいと思う今日この頃です・・・