災害被害調査が続く・・・・

今回の二度の豪雨で日田市内の被害は今までにない被害になっている。特に河川はズタズタに崩壊している箇所が多すぎる。私の住んでいる東有田地区を見ますと、有田川は諸留町本村地区付近までは川の掘削などを行って、水の流れを良くするために、数年前までに改修が終わっていたこともあり被害も少なかった。諸留町中央区地区にある日掛け橋付近から河川改修が全く行われていないこともあり、土手崩壊が至るところで起きている。

特に、羽田町両組地区付近は川底も高く、川の断面も殆どなく少しの雨でも氾濫の恐れが過去に何回もあり、地元住民は県土木に陳情をしていた。県は今までは河川改修の考えもなかったが、今回の被害を見れば考えるであろう。莫大な災害復旧が実施されるであろう。それに伴い、河川改修もしなければ、又、同じ災害を引き起こすことになる。羽田町両組地区付近の河川改修は必然的に取り組むことをすべき。

一級河川の有田川、熊ノ尾川、月出山川の災害復旧は勿論、河川改修も急ぐべきと考えられる。さらに、準用河川の片峰川、松野川、まじり川も災害復旧工事を急ぐべき。被害場所が多く、数年は掛かるであろうが、出来る限り予算確保して工事を進めることが市民の安心に繋がる。県庁から応援部隊も動員され、県河川、国道、県道などの被害状況を調査するために連日フル回転している。市役所も市土木課、農業振興課職員なども連日被害状況調査を行っている。

ヒゲも剃り、ひとまず区切り・・・

7月3日と14日の豪雨のダブルパンチを受けた東有田地区、各町内での被害後片付けも一様に片付いた。多くのボランテァの協力で被害を受けた家屋の床下の泥だし、廃棄物の搬出などが一様に区切りが付いたようだ。今日は班長の協力を頂いて農業関係の被害状況調べを市・県職員立会いで諸留町管内のすべてを現地確認する。田んぼに砂が入り込んだ所、土手の崩壊、水路の崩壊などを被害状況と現地確認が終了した。後は測量し国の査定などを得て、議会の議決を得て復旧工事に入る。5年間ぐらい掛かるであろう被害である。

私自身の心の整理もつき、7月3日からのび放題でしたヒゲもようやく剃ることが出来た。15日間、ヒゲを剃らないと顔形も変わっていたようです。皆からどうして伸ばしているの?と尋ねられることが多かったが、「今後、大雨が降らないことに願を賭けている」と言っていました。それだけ毎日朝早くから被災地の状況把握と声掛けをしていた。床上浸水した家族への励ましや支えになのことを考えながら毎日を過ごしました。

今後は災害復旧に向けて、行政と被災地との連絡調整役等があるようだ。高齢者一人ぐらいもいるので、その対応に万全を期していきます。時間があれば、被災地を民生委員等の方々と連携をとりながら巡回していきます。

東有田地区民によるボランテァ実施状況!!

2度の豪雨で甚大な被害を受けた羽田町中心に地区民に呼び掛け、16日から21日までの期間でボランテァ活動をすることになった。その結果、多くの地区民の協力で思った以上成果で復旧作業が進んだ。被災地の要請が22件、参加人数が延べ125名、昼食は自治会連絡協議会が負担し、おにぎりなどを公民館料理教室の皆さんの協力で配布した。

18日で殆どの要請があった世帯の後片付けも終了した。ボランテァの中には、ウッドコンビナート内で企業活動している日本フォレスト㈱森山政美会長以下従業員6名も参加され、被災地の皆さんから感謝の言葉もあった。森山会長曰く「地元企業として当然のことであり、有田地区の皆さんと一緒に行動していきたい。」ボランテァ活動も一様に終了するが、まだまだ、災害の爪痕はあり、地区民が困っていれば、自治会中心に協力体制を築いていきたい。

これから先は、有田川の河川、県道、市道、農道、林道、山林、農地の災害復旧に入るが、二次災害が起こらないよう緊急の復旧もお願いしていきます。

二度の豪雨と災害復旧が・・・

7月3日、7月14日の記録的な豪雨で壊滅的な被害を受けた東有田地区で地区民によるボランテァ活動も始まり、被災地の皆さんも少しずつでもあるが、明るさも取り戻しつつある。河川、農地、家屋の被害も二度の豪雨で追い討ちで被害もさらに大きくなった。こうした中、孤立状態の岩美町に通じる日の本町横畑地区での仮橋復旧作業も急ピッチで工事が進められ、ここ数日後に開通する予定と聞く。また、東羽田町に通じる県道白地日田線の崖崩れ復旧工事も急ピッチで進められ、ここ数日で通行できる状態まで進んでいる。

東有田地区民によるボランテァ活動も21日まで行われ、総勢150名の地区民で復旧作業が行われることになっている。我が諸留町の被害にあった世帯も昨日の作業でどうにか終了した。後は羽田町一帯にボランテァ活動が進められる。今後は自治会長、班長、生産組合長などが農地、水路の被害状況の把握と市との立会いなどを行う予定です。

災害復旧仮工事に関する件で苦情が・・・

市民の数人から今回の災害復旧仮工事に関する件で苦情が入っている。今回の豪雨で水路の水が氾濫し、氾濫した水が市道を横切り、その下の排水溝に流れ込んでいる。市道の側道が少し壊れていた。班長より連絡があり、諸留町全体の被害状況調べに入れ、東有田全体の被害状況の中に入れて、市に連絡する予定でした。ところが、昨日になり、業者がその崩壊した部分の災害復旧仮工事をしていることに対する苦情でした。

「仮工事をしないと2次災害があるのか?」、「仮復旧していないと人的被害の恐れがあるのか?」、「あれくらいの被害は他の町内にたくさんあるが何故、あそこだけ仮工事するのか可笑しい・・・」、「貴方が市土木課に無理やり仮工事をさせたのではないか」など苦情の内容が私がその仮工事をさせたような苦情になっている。ここではっきり言っておくが、私はその部分の災害が人的被害の恐れがある場合等であれば、市に連絡して仮工事をしてもらう可能性があるが、この現場はその恐れもないし、私はこの現場に関する市に依頼したことはない。諸留町責任者として、東有田振興協議会長として、市に依頼する内容判断は出来ていると思っている。

市もあれぐらいの災害で何故仮工事をするのか調べてみる。誰かが頼み込んで、あの工事をしていると思われるのではっきりさせる。市の姿勢も疑問視される仮工事である。3日の豪雨の時は、その水路は全体的に氾濫して、排水路や田んぼの中に氾濫した水が入り込んでいたことを私の目で確認していた。市は仮工事をするなら、自治会長などに連絡して欲しかった。全く連絡もなく、いきなり仮工事を進めるやり方に疑問を感じる。

うだるような暑さと記録的な大雨の中・・・

16日は東有田地区で募集した70名のボランテァの皆さんが東有田公民館に朝8時半に集まった。諸留町と羽田町の床上浸水した10世帯などに集中的に入り作業を進めた。朝から35度を越すうだる暑さになり、額から汗を流しながら床下の泥出しに精を出していた。ボランテァの中には中野議員夫妻も加わり、日頃にない真剣な顔で作業をしている姿を拝見する。(聞くところ、7/3以降東有田地区へボランテァ活動された議員は溝口副議長、立花議員も頑張っていたという)

今日の東有田地区には日田市社会福祉協議会関係のボランテァ30人も加わり作業も進んだ。中には福岡市からのボランテァの方々も居て有難いことで感謝しています。昼には東有田地区振興協議会と自治会連絡協議会の特別の計らいでおにぎりセットが配られた。公民館料理教室の皆さんが朝から公民館で作ったものです。(私宅も高菜の油炒めを二鍋作り提供する)午後3時前には与えられた世帯の作業も終了した。(東羽田地区で作業終了後に記念撮影をする)

東羽田地区で作業を終了した頃から雨が降り出し、時間雨量で65ミリの大雨になった。大雨警報も発令され、雷も鳴り出し嫌な思いと緊張の時間が過ぎたが、大雨も夜には上がりホッとする。また、台風7号も発生しており、天候の不安定な状態が続きそうだ。

矛盾な公民館職員と市職員の配置に・・・

今回の災害被害地区は花月川流域の地区の被害が大きい。特に、東有田、小野、大鶴地区の被害が大きいと思っている。(他の地区には余り行っていないので分からない)3地区は市の中でも過疎が進み、高齢化率も高い地区でもある。3地区ともに振興センターと公民館が併用されている。3日早朝から大雨になり、市では対策本部が設置され、職員もそれぞれの担当に配置された。振興センター館内出身の職員は各振興センターに配備され管内の監視に当たった。

二度の災害の中で言えることは、被害状況と市職員数のアンバランスがあった。振興センター長を中心に避難場所への職員配置、食事の配置など職員不足が目立った。自治会長も被害状況を把握するために頻繁に振興センターと連絡をしたり、振興センターへの出入りも多かった。孤立した町内への対応など普通の災害時の時よりも大変な作業があり、被害を受けた住民よりお叱りも受ける場面も多かった。

振興センターに同居している公民館長と主事も連日出勤して、公民館周囲の後片付けなども精力的に行っていた。しかしながら、私たち地区住民から見れば矛盾もある。制度が変わり、振興センターの仕事には一切出来ないシステムにある。今回のような異常事態の時に、全く知らないふりが出来るのか。公民館センター事業団から一切の仕事に手を出すなと言う指示もあるとか?それでなくても人数が足りない中での仕事に、同じ部屋に居て知らぬふりが出来るのか、問題ありと認識している。東有田公民館職員は側面的な応援で地区民は助かっていることも事実。今回のような異常事態の公民館職員の身分的などの制度を見直す必要があると感じる。

雨も上がり災害後片付けに・・・

7月3日、7月14日と二度の大きな水害にあった東有田地区では、雨も上がり快晴の中で水害で被害を受けた家屋掃除や水路の泥砂の撤去作業に精を出す。東有田地区で一番耕作面積の多い日掛け水路の清掃に関係者80名が集まり、水路に溜まった砂などを撤去した。軽トラックで約50台分の砂を運び出す。水路の破損はなく一安心。

諸留町で二度目の床上浸水した世帯も後片付けを朝から近所の方々をはじめ親戚、ボランテァなども加勢しながら作業を進めた。濡れた家具を外に出して干す。さらに床下の泥を洗い出す。皆、疲労の限度に来ている顔であるが頑張っていた。ここ数日間、市社会福祉協議会からのボランテァや地元東有田地区で募集したボランテァ、親戚なども加勢しながら後片付けをする予定。

またまた激しい雨が・・・

7月3日の記録的な豪雨で羽田町、諸留町地区では床上・床下浸水した家屋の後片付けも近所の方、ボランテァなどでようやく終わろうとしていた。ところが14日未明から活発な前線の影響で、県西部地域などに発達した雨雲がかかり断続的に非常に激しい雨が降った。午前2時半までの1時間に日田市で40ミリの非常に激しい雨を観測した。その後も断続的に非常に激しい雨が降り、有田川は見る見るうちに増水し始めた。

朝午前8時過ぎには有田川も氾濫始め、7月3日の豪雨に匹敵する水量まで増水した。東有田振興センター付近も氾濫し、道路が川になり、家屋にも濁流が入り始めた。前回、床上浸水した世帯への呼び掛けを行い、避難場所への強制移動をお願いして廻った。午後には雨も小ぶりになり、一安心するが油断はされなかった。被害も諸留町は前回床上浸水した家屋も少なかった。

しかし、羽田町では前回と同じぐらいの家屋の床上浸水、床下浸水した世帯があり被害も大きかった。一安心したところに今回の被害で、悲壮な気持ちになり精神的にも落ち込んでしまった。羽田町では殆どの世帯が公民館に避難をして増水した水が引くのを待った。東有田振興協議会と自治会連絡協議会で協議して、市長に陳情することになった。日田市に自衛隊が派遣されているので、災害救援として羽田町を中心とした床上浸水した家屋の掃除を依頼することになった。

陳情した結果、自衛隊派遣は難しい課題もあるようです。日田市社会福祉協議会が行っているボランテァも人数が減少しているので、災害復旧活動を地元東有田地区で住民に呼び掛けて実施することにした。自治会長、班長が呼び掛けてその参加者を募ることにした。16日から21日までとする。早速、諸留町は班長を緊急に集まってもらい、その対策を協議する。その結果、被害にあった集落民で作業し、終わらなかった部分を他の集落の皆さんにお願いすることにし、諸留町で解決することにした。