恵みの雨に・・・

東有田地区月出町や岩美町の一部で田んぼに水がなく、田植えがされない地区があった。しかしながら昨夜からの雨で田んぼに水が取れて田植えが遅れながらされた。恵みの雨になったようだ。私の住んでいる諸留町一帯でも苗が小さく田植えが遅れていた農家も今日明日で殆ど終わるようです。

田植えが終わった田んぼでは、これから水の管理を見ながら成長を見守ることになる。8月下旬には完全に水を抜いて、田んぼの土がヒビがいるくらいに干す時期もある。根を強くするためらしい。穂が付いて、台風が来ても倒れないようにするためでもあるようだ。10月中旬に稲狩りが出来るまで田んぼの見守り管理が続く。

宮古島黒小豆などを植え込む!!

田植えも終わり、一爛楽の日々を過ごしている。減反してある場所に家庭栽培の場所を確保している。その田んぼには、たまねぎ、ジャガイモの収穫が終わり、綿、キビが育っている。野菜などの自給のためにトマト、キュウリ、ゴウヤなどが収穫始まった。今日は夏大根、宮古島黒小豆、ほうれん草、水菜、枝豆などの種を撒く。盆ごろには食べ頃になると思っている。

田んぼから出た異物??

今年田植え前に、トラクターで田んぼを耕していると異物発見。歯の形をした異物。いつもより深めに耕したために発掘されたかも。20年前ぐらいに諸留ほ場整備する前に、私の田んぼ付近を遺跡調査をしている。年配の方に聞くと、私の住んでいる平島地区は遺跡が豊富だったと聞いていたことを想い出す。折檻もあったとも聞いていた。

もしかして、昔の遺跡の一部かもしれないと思い、市役所文化財保護課に現物を持参する。学芸員によると、動物の歯型であろうと返事かあった。余り重要な異物ではないようでした。持ち帰って近くに埋め込んだ。少しの供養をする。それにしては・・・・

手直しを残し田植え終わる!!

今朝は午前5時過ぎから始動!!「ひのひかり」を植え込むために苗に害虫防止消毒。3ケ所の田んぼに苗を運ぶ。孫一人が加勢に来ていたので一緒にする。孫は午前9時半には部活のために学校へ。小遣い銭貰うために来ていたようだ(笑)。約25アールの田んぼに苗を田植え機で植える。

昨年、買い換えた乗用田植え機で植える。1年に2日しか使わない田植え機であるので、コツを覚えた頃には終了。来年まで農業倉庫に保管。考えてみると、1年に2日しか使用しない田植え機がないと困る。無駄な出費である。このようなことがあるので、集落営農の必要性が言われている。田植え機で田んぼに植え込んでいるが、終わって見ると、直線で植えたつもりが曲がったり、植えてなかったりしている。最初に作業した所と最後の方でした所では全く違う。

今年の苗は例年にない程、立派に作り上げた。明日、植えた田んぼの手直し苗を残して、余った苗は近所の方に差し上げる。明日には田植え作業が終了する。それにしても、毎年、歳を取っていることが分かる。夜は農作業の疲れですぐに眠ってしまう。腰は痛いし、体中、疲れが残ってしまう有様。二人農業もいつまで続くのか心配される昨今である。

現在、田植え真っ最中!!

諸留ほ場整備区域内は雨が少ない中、田植え準備と田植えの真っ最中である。私も4日に10アールをトラクターで田んぼをスキ上げ、8日に赤米、黒米、香り米など6種類を植えた。今年は昨年の反省を基に植える面積を広げたり少なくした。田植え段階から、手間の掛かる米作りである。

その他25アールは「ひのひかり」を植え込むために6日にトラクターでスキ上げ、10日に田植えをする。苗も順調に育ち、植え時期になっていた。田植え作業は2日で終わるが、その前の準備段階が大変でした。堆肥を入れたり、少しの化学肥料も入れたり、トラクターで2回ほど耕したりした。娘家族も加勢に来て、にぎやかな田植えになった。

中野議員もボランテァ活動!!

 昨日、上諸留町片峰地区の民家の藁葺きの家の屋根の片面がずり落ちた現場は後片付けで大変な作業になっている。30日午後から31日に掛けて親戚、近所の方々による落ちたカヤ・杉の皮などを片付けが始まった。軽トラック2台と2トン車でとりあえず共有山に一時保管することになった。100年以上経過した藁葺きはススが舞い、顔も黒くなる始末。マスクをはめて大量の藁葺きを運び出していた。

中野議員も地元議員として現地視察。作業服で来ていたので、そのまま後片付けに加勢をする。3時間近く藁葺きを運び出す作業を加勢したこともあり、作業服、顔も真っ黒になっていたという。地元議員がここまですることに対し、集落の方々より感謝の言葉が伝わって来た。聞くところ、市が実施している日田杉の利用を促進するための事業を活用することも中野議員の計らいで決まったとか。少しでもしてもらった事に一人暮らしの所有者は有難く感謝していた。

突然の出来事で、地元の片峰地区は田植え作業の真っ最中でしたが、一時田植え作業は中断し、藁葺き後片付け作業に加勢する助け合い精神には頭の下がる思いでした。原型復帰の藁葺き屋根に戻すのには約1000万円近くかかるという。原型復帰は無理と分かりトタン復帰の屋根になるという。個性ある昔風の藁葺きの家が1軒無くなることに寂しい思いもあります。

世には不思議なことが・・・

 世には不思議なことが起こるものだということが分かった。今朝午前7時半過ぎ、携帯電話がなった。友人からの電話でした。「近所で藁葺きの家の屋根が落ちた。現場を見て欲しい」との電話でしたので、良く理解せずに現場に向かった。上諸留町片峰地区でした。1軒だけ藁葺きの家で東有田地区でも珍しい藁葺きの家でした。東有田地区では藁葺きの家は上諸留町元市議でした財津保氏宅と東羽田町の熊ノ尾地区に一軒あります。どの家も昔風の風格ある藁葺きの家でした。

ところが、今朝何時か分からないが、突然、屋根の部分がずり落ち、無残な姿になっている。ここ最近、藁変えをしていなく、老朽化していたのとのこと。ご主人が亡くなっておばさん一人暮らしになっている。近所の方も集まっていたが、どうしていいのか対策が見つからず、途方にくれていた。一人暮らしであるので何か補助があるのではないかと言うことで、市役所各課にお願いする。

しかしながら、個人の財産である、市役所は個人の財産には手は出させいと言う。当然である。壊れた部分が市道を影響があったとか、あれば対策をするかもしれないが、今回の場合は出来ないのが当然であろう。家主も理解し、近所の方も落ちた藁葺きを二日間で片付けるという。困ったことが起これば、近所の方々が総出で加勢をして助けることは嬉しいことである。それにしても、老朽化している藁葺きの家が一軒無くなったことになる。原型復帰はするが、藁葺きではないという。

現状把握のために・・・

月出山岳と一尺八寸山の案内板や登山道が現在どのようになっているのか、現状把握のために関係者と昨日午前中に行って見る。まず、月出山岳に行く。月出町本月出山集落から作業道で山頂付近まで行ける。毎年一回、集落の方が草刈りをしていただいているので、どうにか軽トラックで行ける状態でした。二番山付近から一番山に300mぐらい歩く。二番山の頂上で日田市と玖珠町に境界がある。三番山にも車は行ける。三番山が月出山岳では一番高い。玖珠町浅見集落の方が簡単な展望台を作っている。登山道の案内板は殆どないが、月出山岳の由来は月出山集落内に設置されているが老朽化している。

一方、一尺八寸山は東羽田町熊ノ尾集落から二つ尾集落を通って500メートル登った所から登山道の案内板がある。その案内板を見ると、歩いて2kmとある。今日は時間がなかったので、いつの日が登ることにした。聞くところ、山頂付近は旧山国町、合併で中津市になっているが、案内板や由来などが中津市が設置しているとか。日田市の案内板などは全くないという。

二つの山が東有田地区にあるため、地元自治会関係者と話し合いを続け、案内板の設置、由来などを設置する必要性も感じる。市の考え方も聞く必要もあるのではないかと言う関係者もいる。地域活性化のために難読山名日本一と三位の一尺八寸山と月出山岳を活用すべきとの意見もある。全国サミットを開くこともできるのではないかと言う発想もある。今後、東有田地区振興協議会の中で論争を起こす必要もあると感じた。

東有田地区には難読山名日本一と3位が・・・

平成9年に山愛好者達が難読山名コンテストを開催し全国229山の中から選び、その日本一の山として一尺八寸山(みおうやま・706.9m)が選ばれた。この山は東西に長く山頂付近は平らなメサ地形をなしていて、日田市内からもよく見える。しかし、日田市側からの登山口も分かりにくく、どこが頂上なのかわかりにくい。昔は山頂近くからは日田市内もよく展望できたのだが、植林された木が大きくなり登山道や山頂からの展望はあまり良くないという。(最近、登っていないので分からない。一度、近日中に登る計画中)。中津市側からの登山道は整備されているとか。

伝承によれば、この山名は、昔、この山で行われた狩りでしとめた三頭の大イノシシの尾を切り取ってつなげたところ一尺八寸(約68cm)あったところから名づけられたとも、昔、この山にいた三岐の蛇の尾の長さをたすと一尺八寸あったことから名づけられたとも言われ、読みの「みおう」、「みお」は「三尾」を意味するとされる。

一方、月出山岳(かんとうだけ)の由来は、景行天皇から「月出山岳の山名」を聞かれた久津姫が「あの山の方向はいずこか」と聞かれたものと勘違いして、「関東(かんとう)です」と答え、以降、月出山を「かんとう」と呼ぶようになったと公民館前の看板に記載されている。月出山公民館から舗装された林道を走行すると、途中から未舗装に変わるが、2番坊主と3番坊主の鞍部付近に駐車。まず、前回パスした地形図掲載の678mの標高点(1番坊主)を目指す。笹のヤブを漕ぎ10分で到着。北側の展望が拓けこの後登った岩見岳が一望。国土地理院の多角本点と書かれた大岩が2箇所あり、高い方を2番坊主とした。三角点の3番坊主(標高709m)は展望台の西・40mにある。高さ10mの展望台からは、360度の大パノラマ。万年山、湧蓋山、大船山、釈迦・御前、英彦山、鷹巣山、由布岳など主要な山々が一望できた。近日中に登ることにした。

月出町は住民意識が・・・

議員をしていた時、議会だよりを配布するためにいつも通っていたコースで月出町に行った。片峰集落から月出町本月出山集落に抜ける市道を通る。ひとやま抜けるぐらいの登り坂道を行くとささおという地名付近を通ると月出町側になり、風景が変わる。遠くには玖珠町にある風力発電の風車が見える。月出町本月出山集落は15軒ぐらいあり、月出山の登山口にもなっている。

月出町は全体で58世帯、人口男91人、女97人合計188人、高齢化率38.30%である。月出山小学校が閉鎖されて、多目的交流館に生まれ変わって、都市交流が盛んに行われている。まちづくり委員会と言う組織があり、たけのこ掘り、そば粉の作り方などで交流を深めている。さらに、地域間の交流を深めるために運動会、毎月20日に井戸端会議という集会を開いて絆を深めている。日田市の代表的なまちづくり事業のひとつにもなっている。