高齢化が進む農業打開策は・・・

近所で田畑を栽培している世帯を見ると、跡継ぎもいなく近い将来どうするか悩んでいる世帯も多い。農業に従事している方々が高齢者が多くなった。私の近くでも一人世帯で80歳近くになったのでライスセンターなどに一切の農作業を委託している世帯もある。ここ10年すればこのような世帯が増えることは必至である。さらに、反別が少なくても大方の農業機械も持っている。それだけ農業経費はかさんでいる。裏を返せば農家ほど高い米を食べていることになる。
昨年頃からこの打開策はないのか考えている。大鶴夜明、求来里、小野地区で取り組んでいる農事組合、いわゆる営農集団である。今年度はある事情があるために取り組みをしていないが、来年度から本格的に有田地区での営農集団化に向けて取り組みを開始したいと考えている。先日も報道されていた月出町の水稲・麦の不耕起直播(じかま)き栽培実証田で、実った稲を刈り取って家畜飼料の「ホールクロップサイレージ」に仕上げる作業もある。
輸入飼料高騰対策のため、今年初めて日田式循環型有機農業推進協議会が手掛けている。畜産農家と耕種農家が提携し、休耕田などに5月、ヒノヒカリ8キロを直播き。除草剤をまき、水は張って、実った稲を専用機械で稲をなぎ倒し、ロール状にし、別の機械で密閉する。1~3カ月間寝かせると稲発酵粗飼料となる。育苗や耕起、代かき、田植えは不要。大幅な生産コスト削減と労力軽減が図れている。10アール8万円の国補助もあり、広く普及を広げたいと言っている。

稲刈り作業の目途が・・・

ここ1週間稲刈りに関することを「私のひとりごと」で語ってきた。ブログが面白くないし、読みたくないだろうと思っている。市政のことや街の話題など情報はあるが、あくまで噂話であるので控えている。確かめて情報発信をしたいと思っている。
ところで今日で一様の稲刈りに関する大まかな作業は終了した。朝から軽トラックで竿や脚を持って帰り、天干ししてあった田んぼのワラを片付けたり、天干ししてあった古代米を自動精米機ではがしたりして、夕方には殆どの作業が終わった。ワラも市内の畳店が持って行った。今年は東北大震災の影響でワラも影響があるとのこと。古代米を精米したら色の付いた赤米や黒米などが美しく輝いていた。
ひのひかりを栽培していた田んぼの稲がらは、牛飼育業者が持ち帰り、その代わりに堆肥を田んぼに入れてくれることになっている。今年暮れまでにその作業も進むことになる。年内の暇の時に田んぼを耕すことになる。当分はそのままにしておくことになる。

農作業は続く・・・

農作業は次から次へと仕事が待っている。今日は昨日古代米を稲こぎしたが、その古代米を田んぼの横で天干しする。明日まで天干しして精米する予定です。さらに、古代米を天干ししてあった田んぼで竿と脚を片付け作業もする。また、古代米を脱穀した稲がらを束にする作業をする。このワラは市内の畳業者から分けて欲しいと言われていた。この作業は明日まで続く。14日には雨の予想があるのでそれまでには外回りの仕事は終わらせる段取りでしている。
2人農業をしているので、仕事自体は進まないが、愉しんで仕事をしている。朝9時前から農作業を始めて10時過ぎに10分間の休憩を入れ、午後も3時過ぎにも休憩を入れて無理はしていないつもりですが、夜になると足腰が痛い。しかし、毎日の農作業には充実感はある。60歳を過ぎてからの農業は出来る範囲しかしていないつもりです。

古代米を脱穀!!

10月終わりに稲刈りして竿に掛けていた古代米を脱穀する。2週間、天干ししていたため良く乾燥している。すずめが木の枝から恨めしそうに眺めていた。餌がなくなるから。品種ごとに米を入れる袋から全部変える作業もあり大変でした。今年の収穫は昨年と同じくらいの出来である。
今年の古代米は昨年から少し面積を広げて栽培していたので、多めの収穫になっている。しかし、古代米が昔の米であるために、ひのひかりなどの米より収穫は少ない。しかし、販売する時はひのひかりの倍の価格になる。収穫した古代米は明日から天気の良い日にさらに2日間ぐらい天干しして、籾を精米する。そこでようやく古代米が出来上がる。手間の掛かる収穫である。精米が終われば品種ごとの古代米をミックスして混ぜてしまう。
大山の木の花ガルデンの店頭に古代米が並ぶのは来週20日前後になるであろう。今年は販売販路を広げる予定です。日田農協でも福岡方面への販売ルートがあるので、その方面にも広げる段取りをしてみる予定。最近では健康食として消費者の人気になっているようだ。すでに予約されている愛好者もいる。

稲刈り2日目!!

朝起きると足腰が痛い。昨日の稲刈りで籾袋を軽トラックに積み込んだ時に力を入れたことでしょう。年齢が行くと籾袋も重くなってくる。その点、孫達は軽く持ち上げて軽トラックに積み込む。孫の一人が嬉しいことも言ってくれる。私達が農業を出来なくなったら自分が後は引き継ぐという。あまり当てにはしないが。
今年も昨年に引き続いて、稲刈りが終わった稲柄は近くの酪農農家にやることにした。コンバインで籾殻を切らずにそのまま、田んぼの中に広げておく。酪農農家がその籾殻を機械でまとめて丸くして持って行く。今年暮れぐらいに堆肥を頂く。そのため、田植え前の化学肥料は殆ど入れなく済む。
2日目の稲刈りも露が落ちる午前9時半過ぎからはじめる。今年はコンバインも機械も順調良く動く。昨年はコンバインが壊れて半日修理の時間になった。そのため、今年は事前に試運転をしてあった。エンジンオイルや油を差す箇所に注したりして万全の体制で臨んだ。

稲も「甘やかせては・・・」!!

近所の方で『稲も人間と同じで甘やかせては良い米は出来ない』という方が居て、田植えをして全く田んぼを見ることもしない方が居る。水は常時当てている。そのため稗や草が田んぼの中に生えている。全く獲るようなこともしない。しかし、米の収穫は多い。私たちの農家よりも収穫が多い。
田植えして毎日朝、田んぼの回りを廻ったりして稲の生育を見守っているが、その方は全く田んぼにも行かない。こうした稲の栽培のやり方もあるが、私はそのようなやり方は出来ない。最近、田んぼの中に稗が沢山出ているが、獲ることもしない世帯が点在している。そのような考え方でしょうか。それとも稗を取る暇もないのでしょうか。農家世帯の高齢化が進んでいる。
近くでは色付いた稲を途中から切り倒し、酪農農家がその実の付いた籾殻を牛の餌にする方法もあると聞いている。国からの補助金反あたり8万円頂けるとか。求来里農事組合もその補助金に取り組んでいるとか。来年度から有田川沿いに農事組合発足をするために準備する予定である。近くにそうした団体もあるので勉強中である。

稲刈り真っ最中!!

今日から三連休、農家では米の稲刈りを開始した農家が多い。諸留ほ場整備内でもコンバインが10台ぐらい見える。家族総出で加勢している。私の家も娘家族が加勢に来る。今日に半分終わらせて明日終わらせる段取りでする。取り入れた米袋を軽トラックに積んで近くのライスセンターに持ち込む。籾は昨年と同じぐらいの収穫である。

『サツマイモ』初収穫!!

今年春先に『サツマイモ』を植えてあった。全くの知識もなく、昔のことを想い出して苗を植え込んであった。夏場はツルが相当に伸び、それを切っては料理して食べていた。近所の方が「もう掘っていいよ」のゴーサインが出たので長いツルを切って鍬で掘り出す。大きな『サツマイモ』が掘り出された。近所の方が曰く「もう少し溝を作って山を大きくすれば、さらにサツマイモも付くだろう」と言われる。
初めて作った『サツマイモ』にしては自分なりに上出来と思う。天干しして10日ぐらいで美味しいサツマイモが食べることが出来るという。ここ数日で、全部掘り出してみる事にした。今年は『落果せ』も初めて栽培している。もう少しして掘り出す予定です。何でも栽培してみる。挑戦することは楽しいことです。

150人の前で『市政報告会』!!

『21世紀の日田市を創る会』の総会が開催され、原田啓介氏の『市政報告会』と市長選の時に発足していた『勝手連選対本部解散式』があった。選挙の時に原田啓介氏を支えた市民が大勢集まった。当初は70人規模で開催する予定が倍の150人が結集した。選挙当時無理やりお願いしていた勝手連選対本部長をしていた石松雅彰氏が『今日を以って勝手連選対本部は解散します。これからは21世紀の日田市を創る会が原田市長を支えることになります。よろしくお願い致します』と最後の挨拶をする。
来賓挨拶で県議、市議から挨拶を頂き、東北大震災のボランテァで出張している市議有志からメッセージが届いていたので紹介もする。また、選挙時に推薦状を頂いていた団体を紹介し、お礼もあった。さらに、選挙時に市民から募金、寄付の総額が発表され収支報告もされた。続いて原田啓介市長から市政報告が30分間行われた。『市長選が終わって3ケ月、市役所に初登庁して2ケ月、この間、めまぐるしく動き回った。市役所に居る時間が多い。市民との接触が少なく、不安に感じている。はやく体制を整えて、地域、各地区に出向いて市民の声を聞き、市政運営に反映したい。』と少し心配している場面もあった。
参加している市民は元気な原田市長を見て安心している方も多かった。しかし、毎日が激務をしているので体が心配しているという市民も多かった。まだまだ余裕のある体制でないので、早く市政運営の体制づくりを希望している参加者も多かった。21世紀の日田市を創る会では今後、会の組織強化のために各階層で組織作りを行っていくことも確認した。その後の懇親会ではなごやかに原田市長と懇親した。

ややこしい話が飛び込む!!

ややこしい話が飛び込んで来た。「市道拡幅のために測量をしたい」と市から自治会長を通じて話があった。この市道は周辺部にあり、その測量する部分が共有林の山でした。ところが共有林では登記が出来ないということで、個人個人になって登記がされている。図面上では個人個人に分割されているが、実際、現地では所有者の線引きはない。あくまでも共有林として今日まで山の管理はされている。
私も小さい頃に共有林に下刈りに行ったこともある。聞くところ、50年前ぐらいに個人ごとに登記がされているとか。実際、個人の資産で税金も払っている方もいるとのこと。今回、市が測量説明会を開くというが、道沿いの所有者は出席しないという。買収の段階になっても関知しないともいう。こうした共有林の扱いが大変である。今は昔のことを覚えている老人がいるが、将来、何代かあとになるとややこしくなる事は必至。
そこで、今回の道路測量を契機に話を定例常会などで出して、はっきりしていきたい。昔の書類も残っていない中で、皆と協議を進めたい。将来、揉め事にならないためにも一筆確認書を作る必要もあるようだ。聞けば聞くほどややこしい話である。最近では公民館などは地縁団体の申請をすれば良いようになっているが。じっくりと昔の話を掘り出しながら解決策を見つけて行きたい。