限界集落から奇跡の脱出!地方再生 仕掛けるスーパー公務員が石川県羽咋(はくい)市役所にいる。その職員は高野 誠鮮(たかの・じょうせん)氏である。変化のための「軋轢」を恐れるな!高齢化が進み、近い将来に集落が消える――。そんな危機にあった集落を救った立役者が市役所職員である。市役所勤務の57歳の課長補佐、高野誠鮮。高野は地元出身ながら、いわば市役所の中途採用組。地元の現状を少しでも変えたいと、常識破りの行動力で事を起こして行った。
その結果、地元のコメ「神子原米」は高値で売れるブランド米に。子供のいる家族も移住してきて、神子原は見事に限界集落を脱したのだ。“異端のスーパー公務員”高野が語る、地方の未来はこうして拓け!限界集落から奇跡の脱出!立役者は地元の公務員!
能登半島の真ん中に位置する石川県羽咋市神子原(みこはら)。ここはトキの生息でも知られた自然豊かな場所だ。だが高齢化が進み、限界集落となる(人口の50%以上を65歳以上の高齢者が占める集落)。そんな神子原がいま、全国の自治体や農業関係者からの視察が絶えないほど注目を集めている。地元のコメのブランド化に成功した上、何と2009年に限界集落からの脱出を果たしたからだ。その立役者こそ羽咋市役所の課長補佐、高野誠鮮だ。その出発点は、地元農業への強い危機感。「農家が自らの手でコメを売る仕組みを作らないと、農業の未来はない」。そう考えた高野は、地元のコメを「神子原米」とネーミングし、神子原⇒神の子⇒キリストという連想からローマ法王へのコメの献上を実現して大きなニュースとなる。その結果、神子原米は「奇跡のコメ」として、今では入手困難なブランド米に成長。これがきっかけとなり、農業を志す若い移住希望者も増加し、見事、限界集落からの脱出を成功させたのだ!
とにかく“実績”を作れ!高野流の突破力とは・・・羽咋市で生まれ育ち、江戸時代から続く由緒ある寺の住職でもある高野。もともとは東京でテレビの放送作家をしていたが、30歳の時にUターン。市役所の臨時職員となり町おこしを手掛ける。するとテレビマンらしい奇抜なアイデア力を発揮。「UFOで町おこし」をテーマに1996年には、宇宙博物館「コスモアイル羽咋」を開館、成功を収めた。高野は地域の再生のため、神子原米のブランド化だけでなく、移住希望者を増やすための独創的な取り組みを展開してきた。だが、高野は公務員でありながら、何か事を起こすのに稟議書も通さない。上司には事後報告。公務員としては“あるまじき高野流”だが、実績を作り上げてきた。それにしても一体なぜそこまでするのか?
高野は言う。「役に立つのが、役人だ!」。新たなブランド作りへの挑戦…キーワードは「自然栽培」高野は現在、農薬・化学肥料・除草剤を一切使わない「自然栽培野菜」の開発に取り組んでいる。神子原米だけでなく、周辺地域全体が“食える農業”をするための新たなブランド作りをしようというのだ。高野がそのヒントを得たのが、自然栽培で作られた「奇跡のリンゴ」生みの親、木村秋則氏の自然農法。2010年からは木村氏を地元に迎えての「自然塾」を開催、自然栽培米を推し進めている。そしていま新たに、自然栽培米を使った米粉パンの開発に乗り出した。全国でもここでしかできない産品を作ろうと、農家、農協ともタッグを組んだ取り組みだ。果たしてうまくいくのか…?
高野さんは「最後に」こう仰っておられる。実行したから「失敗した」「うまくいった」と言われます。何もしないのとやってみるのでは天地の開きがあり、何度も失敗を繰り返したからこそ私たちは、補助輪なしで、初めて自転車に乗れました。「ひっくり返ったらどうする?」「転んだらどうする?」と言われてもやめてはいけません。もう一度トライして乗るだけ。だから自転車に乗れるのです。印刷物の計画書のとおりには世界は動かない。でもそれは、計画書が甘いから出来ないのではなく、実行しないから出来ないだけ。過疎高齢化の問題にしても、何度議論すれば1%高齢化率が下がるのでしょう? 議会で議論さえすれば下がるのだったら、日本中から過疎集落はとっくになくなっています。役人は、文書を作るのが仕事でなく、本当に課題を解決し、変えるための行動や実行する力を求められているのです。
「公務員は……」って言われがちだけれど、「公務員」という立場が悪いわけじゃなく、「公務員だから」と当人も周囲もあれこれ勝手に決めつけて、視野を狭めているのが悪いのだなあ、とあらためて考えさせられました。自分の可能性に行き詰まりを感じている市役所職員に言いたい。