安倍首相談話

政府は8月14日、臨時閣議を開き、戦後70年の安倍首相談話を決定しました。
『終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。そして七十年前。日本は、敗戦しました。戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。ですから、私たちは、心に留めなければなりません。戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

 平成二十七年八月十四日         内閣総理大臣 安倍晋三

 

お盆を迎えて・・・

平島地区盆踊り27.8.13平島地区盆踊り②

今年は父の初盆を迎え、例年にないお盆を迎えています。父が5月9日に亡くなって慌しい100日忌を迎えています。10日過ぎてお参りに来ていただく方も多くなり、家を空かすことも出来ない。そのお参りも13日がピークになり、朝から夜まで多くの方がお参りに来て貰い、ありがたく感じています。

夕方には平島地区(26世帯の家族)の皆さんが一斉にお参り頂き、自宅も混雑。来て頂いた方々にお茶を出す代わりにベットボトルを一本渡し、それぞれの世帯にゴミ袋(10枚)を渡す習慣があり、忙しい時間帯でもあります。そこで、兄弟や子供達に加勢をして貰っています。この習慣が良いのか分かりませんが、改善する必要もあるようです。

夜は平島公民館前で平島地区の夏祭り(盆踊り)が開催され、遠方から帰郷されている多くの方々も参加されていました。私の長男の嫁も始めて参加され、難しい盆踊りを踊っていました。今年は例年にない静かなお盆となっています。

「いかなる『70年談話』であるべきか」

衆議院議員 岩屋たけしのマガジンから・・・「いかなる『70年談話』であるべきか」・・・・8月9日は長崎への原爆投下から70年の日。先の広島に続き、あらためて被爆者ならびに被災地の皆様に心を寄せ、越し70年の歳月に思いを致すとともに、我が国の今後に思いを馳せるひと時を持ちたいと思います。

先の衆議院予算委員会では、広島での式典の際に安倍総理が「非核三原則」に言及しなかったということが、ことさら追及の対象になりました。広島で敢えて言及しなかったのは、おそらくは、広島、長崎の両会場での総理式辞がセットで起案されていたからでしょう。「意図的に広島での式辞から『非核三原則』を抜いたのだろう」というのは相当に穿った見方だと思うのですが、時あたかも「平和安全法」の参議院審議の真っ最中であり、その中で、そもそもあり得もしない「核兵器の輸送」などが話題になっていた矢先でもあっただけに、妙に詮索を受けることがなきように事務方も配慮すべきだったのだと思います。

そんな中、来る14日に安倍総理が「戦後70年談話」を発表するということで、内外の注目が集まっています。有識者懇談会の先の提言を受け、目下、政府与党首脳間でその内容を精査しているところだと拝察します。当初は総理の個人的談話にするとの案もありましたが、過去の例に即して正式に閣議決定し、政府としての正式な談話にすることになったことは、妥当な判断だと思われます。「過去の談話と形式が違う」というだけで、いたずらに批判の対象になってしまうようなことは、この重要な局面において避けるべきだと思うからです。

焦点は「侵略」や「お詫び」という文言が入るかどうかと言われています。本来は「表現」の問題というよりも、まさに「誠意」の問題なのであり、たとえ、同じ言葉を使わずとも真意が伝わればいいようなものではありますが、実際にはなかなかそうもいかないのが国際政治の現実で
もあります。私個人は、表現の問題で誤解を受け、ギクシャクするくらいであるならば、過去の談話で表された「侵略」や「お詫び」の文言をしっかりと踏襲し、あらためて我が国の反省の意を明らかにした上で、戦後日本の平和な歩みや国際貢献に言及するとともに、地域と世界の将来を見据えた未来志向の談話にしていただきたいと願っています。

「侵略」の定義が必ずしも定かでないというのは、当の村山元総理も当時の国会答弁で述べておられるとおりなのだとしても、少なくとも「対華21カ条要求」以降の我が国の中国大陸に対する行為は、通常、観念されている意味での「侵略」であったと認めなければならないでしょう。そして、そのことによって中国大陸のみならず、アジア近隣諸国に苦痛を与えたことも事実であるならば、そのことを痛切に反省し、あらためてお詫び申し上げるということは、決して我が国の過去の歩みのすべてを否定するということにはならないものと思います。

先の大戦は、対英米、対中国、対東南アジア諸国といった極めて複雑な要素が入り混じった戦争であって、一言で総括するのはそもそも無理があるところでもあります。しかし、大局的観点に立って見れば、我が国は最後に遅れて登場した「帝国主義国家」だったのであり、それがゆえの国際社会からの反発や警戒に十分に対応することをせず、最終的には当時の世界の潮流を読み誤り、ついには国際連盟を脱退するなどして、自らを窮地に追い込んでいったのだと思います。

結果、ほぼ全土にわたる無差別爆撃を受け、二発の原爆を投下され、300万人に及ぶ犠牲を払うこととなりました。しかも、そのうち、100万人は終戦間際の犠牲者だったことを考えれば、無謀な戦争を仕掛け、その終戦の判断をも誤った当時の為政者、指導者の責任は決して免れないものと思います。

その我が国の行為が、ポツダム宣言に書かれているとおりのものであったのかどうか、極東軍事裁判に示された判決のとおりであったのかどうか、果たして戦争責任を負わなければならないのがA級戦犯の人たちだけであったのかどうか、、、そこは、いまなお様々な議論のあるところです。しかし、我が国はそのすべてを受け入れることによって「戦後」をスタートさせ、やがて主権を回復して国際社会に復帰するとともに経済復興を成し遂げ、この70年を名実ともに平和国家として歩んできたのです。私たちは今後とも決してそのことを忘れてはならないのだと思います。

いま、国会で議論されている「平和安全法」は、あくまでも紛争を防止し、抑止することを目的とした法案です。戦後の70年を通じて自他ともに認める先進民主主義国家となった我が国がこの先、戦争を志向する理由など何処を探しても見当たりません。しかし、そうでありながら、
少なからぬ国民の皆さんが不安や心配を抱いているというのは、先の戦争に対する総括が必ずしも十分でないというところに起因しているのでしょう。そういう意味で、この70年の節目の時に発せられる「談話(政府の公式見解)」は、近隣諸国や世界に向けてのものであるのみな
らず、国民に向けて発せられる極めて重要なメッセージになるものと思われます。最終的には安倍総理が様々な要素を総合的に判断されて決定することとなるでしょう。あらゆる意味で、「適切」な談話となることを心から期待しているところです。岩屋たけしメルマガから・・・

大分県小学生バドミントン選手権大会が・・

県小学生バドミントン大会27.8.8 ①県小学生バドミントン大会27.8.8 ②

第35回大分県小学生バドミントン選手権大会が8月8日~9日に日田市総合体育館・中城体育館で開催された。県下各地から350名の小学生が集まり熱戦を繰り広げた。成績は次のとおり・・・・

【男子シングルスの部】  ☆4年生以下男子シングルス・・・1位 嶋村悠生(臼杵南ジュニア) 2位 鳴海翔汰(稙田ジュニア) 3位 田代晃基(若宮ジュニア) 

☆5年生以下男子シングルス・・・1位 川邊悠陽(臼杵ジュニア) 2位 佐藤蒼馬(日出ジュニア) 3位 栗山寿一(光岡ジュニア)  

☆6年生以下男子シングルス・・・1位 菅 俊博(日出ジュニア) 2位 辰巳翔梧(半田ジュニア) 3位 岸公太郎(中島ジュニア)

【男子ダブルスの部】  ★4年生以下男子ダブルス 1位 岩下彰之介・橋本龍太(咸宜ジュニア) 2位 横山 衛・尾藤脩(中島ジュニア) 3位 嶋村悠生・城 大賀(臼杵南ジュニア) 

★5年生以下男子ダブルス 1位 東保佑典・向野直杜(中島ジュニア) 2位 後藤遥斗・小野隆之介(坂ノ市ジュニア) 3位 健木鼓哲・鳴海翔汰(稙田ジュニア)

★6年生以下男子ダブルス 1位 辰巳翔梧・原隆哉(半田ジュニア) 2位 菅 俊博・佐藤蒼馬(日出ジュニア) 3位 仲野雄貴・嶋村明弥(臼杵南ジュニア)

 

【女子シングルスの部】 ☆4年生以下女子シングルス・・・1位 垂水彩音(稙田ジュニア) 2位 山本 涼(五和ジュニア) 3位 久保樹希(三重ジュニア) 

☆5年生以下女子シングルス・・・1位 片伯部彩乃(稙田ジュニア) 2位 丹生結子(宇佐ジュニア) 3位 佐藤妃菜子(三重ジュニア) 

☆6年生以下女子シングルス・・・1位 井上葉月(ONOジュニア) 2位 松本柚希(千怒ジュニア) 3位 大神 歩(由布川ジュニア)  

【女子ダブルスの部】 ★4年生以下女子ダブルス 1位 垂水彩音・安藤菜々美(稙田ジュニア) 2位 橋本明日香・吉田璃子(咸宜ジュニア) 3位 木村瑞希・今朝丸優愛(別府フレンドジュニア) 

★5年生以下女子ダブルス 1位 片伯部彩乃・首藤紗希(稙田ジュニア) 2位 詫間玲菜・詫間琉菜(臼杵南ジュニア) 3位 佐藤妃菜子・久保侑希(三重ジュニア) 

★6年生以下女子ダブルス 1位 吉田瞳子・坂本侑茄(咸宜ジュニア) 2位 三浦柚希・片伯部美咲(稙田ジュニア) 3位 峰崎月姫・三宅るり(宇佐ジュニア)

心を込めて栽培した新米販売

有田の米販売27.8.10新米販売26.10.28 ①

昨年、大好評に売れた新米『ありたの夢米』を今年も販売することになった。10日に看板を2ヶ所に設置した。諸留・上諸留地域営農組合で組合員が心を込めて栽培した新米販売である。今日から9月30日まで予約販売をすることになった。有田地区のお米は美味しいと高く評価されている。1俵(30k)7,500円。 希望者は090-8222-6560 までご連絡下さい。

「或る列車」ようこそ! 日田駅でイベント

JR九州の観光列車「或る列車

JR九州の観光列車「或(あ)る列車」の運行が大分―日田間で始まった8日、日田駅で歓迎イベントがあり、乗客をもてなした。到着前、駅ホームには鉄道ファンらが駆け付けた。黄金色の列車がホームに近づくと旗を振って歓迎。JAおおいた日田梨部会女性部が一口サイズに切り分けた日田梨をふるまったり、市観光協会職員が観光パンフを旅行客に手渡して水郷日田をPRした。

駅前の特設ステージでは歓迎イベントを開催。女性でつくる「日田祇園囃子(ばやし)なでしこ会」の演奏や、日田下駄(げた)を履いたダンスチーム「日田もりあ下駄(げた)い」の踊りなどが盛り上げた。試運転の際にも駅に見学に来た三芳小4年の川津志庵(しあん)君(9)は「ホームからばっちり写真を撮った。印刷して部屋に飾りたい」と話した。   ※この記事は、8月9日大分合同新聞朝刊に掲載されています。 

日田の焼きそば

日田やきそばの日 研究会が無料で100食を配布・・・・日田市の日田やきそば研究会(木下周代表)は9日、JR日田駅前で日田やきそば100食を無料配布した。研究会は2012年に8月9日(8・9=焼く)を「日田やきそばの日」として定めた。市や日田やきそばの魅力発信に取り組んでいる。

配布前に地域住民ら約40人が列をつくった。木下代表が1年間の活動と10月に青森県で開催される「B―1グランプリイン十和田」の出場を報告。「活動を通して日田を元気にしていきたい」と決意表明した。市内中本町の会社員高瀬良太さん(35)は「日田やきそばで日田がどんどん盛り上がってくれればうれしい」と話した。   ※この記事は、8月10日大分合同新聞朝刊に掲載されています。

久しぶりの雨が・・・

7月終わりに梅雨明けして、殆ど雨が降らなかった。毎日、猛暑が続き暑い日が続いていましたが、8日午後2時過ぎから1時間夕立が来た。風も強く、雨が降ったのも久しぶりでした。気温も下がり、夕方には30度を切る暑さになった。

ところが聞くところ、日田中心部は殆ど雨は降らなかったと言う。中尾町付近、総合体育館付近まで雨が降ったという。畑に植えてある大根など恵みの雨でした。

彼岸花の種植え作業

諸留地域保全組合では老人会と協賛して彼岸花の球根植え作業を行なった。諸留ほ場整備してある中心部にあるハウス施設付近の田んぼの土手に植えた。老人会会員30名が集まり1時間で植えた。秋には美しい彼岸花が咲くことでしょう。

県自治会連合会長に岩里氏が・・・

岩里諫夫氏①県自治会総会27.8.6

県自治会連合会は本年度の定期総会を県庁新館会議室で開き、新たな会長に岩里諫夫氏を選んだ。前会長の山中琢磨氏が今年3月末で佐伯市の地元自治会長を退任し、5月に県連合会長、6月に全国連会長をそれぞれ退任していた。総会には県下全市町村の自治会長代表220名が集まり開催された。(日田市からは各地区代表理事20名出席)自治会数は県下で4114団体あり、最も多い大分市は688団体ある。広瀬知事も来賓として出席し祝辞を述べた。

岩里氏は日田市前津江町赤石自治会長、日田市自治会連合会長。2010年から県連合会の副会長を務めてきた。新会長に選任後、「地域行事の継承困難は全国共通の課題で、地方創生事業へ積極的に参加していく。自治会相互の協力やNPO、地域づくり団体との連携が求められる中、連合会がその要となるよう努力する」と挨拶する。

誕生日余り嬉しくないが・・・

洋司誕生日ケーキ27.8.5 ①

今日は私の68歳誕生日である。歳が行くと余り嬉しくない。前期高齢者仲間になって3年。後期高齢者もまじか。年齢が行くと体にも変化。足腰が痛くなったり、少しの作業でも疲れるし、年には勝てません。今日のスケジュールを書いてみます。まず、朝5時半に暑さで目が覚め、涼しいうちに田んぼの水管理に行く。7時半から朝食。前田の休作している所に大根5種類に水遣り、里芋にも水遣り。

午前10時半から日田警察署で免許証の更新講習会。今回は5年間のゴールド講習で30分間。その後、散発。昼食は自宅でソーメン。午後1時から2時まで休息昼寝。2時半から畑の草刈り作業で1時間半。その帰りにジャンボタニシ獲り。6時半から同級生の奥さんが亡くなっているとのことで悔やみに行く。その後、夫婦二人で誕生日祝いと言うことで東華のランチ食べ。午後8時過ぎに孫(長女の3男日田高校サッカ部)が誕生日祝いとしてケーキ持参(涙が出ますよ・・・)。午後10時過ぎ孫(長女の2男福岡市在住)から電話『ジジ誕生日オメデトウ。長生きしてね』と言われ又涙が出ますよ。色々とあった一日でした。